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高橋信次先生に学ぶ

高橋信次先生に学ぶ

後光、オーラーについて

- 後光、オーラーについて -


人間の身体からだけでなく、すべての生物がオーラーを出していることは今日では、もはや常識として知っている。

お釈迦さまやキリスト、或はその弟子達の像や絵にオーラーが描かれている。

大きさは霊の段階によって違うが、色は鮮かで透きとおるような黄金色である。
心が乱れるとオーラーも変化し、その人が怒ると、赤に黒を交ぜたような色の炎のようなオーラーにかわる。

精神のあり方が、電気現象と関係があることは嘘発見器などでも想像がつく。

傲慢、尊大、我欲の強い人のオーラーは、後にそり返り、謙虚、親切、奉仕、愛に満ちた人のオーラーは、前の方にお辞儀をしたみたいに傾いている。

聖書に、病人がキリストの衣のふさにふれたら病人が治ったと書いてある。
「力われより流れ入りて汝に入れり」
とキリストがいわれたのは、キリストのオーラーの雰囲気の中に入った時に、感動をうけたのである。

全身から出ているオーラーを心で手に集中して、そのオーラーが手を通して相手に集注されると大きな力を発揮するのである。

医薬のなかった大昔は、直観的に、またそれを霊視する人があって、病気の場合は手を当てて癒やしていた。

そういうことが人類の潜在意識の中にあるから、人間は誰でも腹が痛いというと無意識のうちに手で腹を押さえるし、歯が痛いというと頬に手を当る。
そうすると、手を当てなかった時よりも確実に痛みがやわらぐのである。
息にも癒やす力がある。

やはり中国の奥地であるが、頭の痛い病人の額に息をハアッと吹きかけているのを見たことがある。

みなさんにはこういう体験はなかったでしょうか。
釘を打ちそこねて、指の頭を叩いた。
「あ、痛っ」と思った瞬間にその指を口にふくんでいたということを。
これは息の中に癒やすカがあるということを、本能的に直観的に知っているからである。

子供が頭にコブをこしらえたりする。
母親が息を吐きかけて、「もう治っ一た、治った」というのもそれである。

心が大きく広く豊かに愛深くなると、後光、オーラーも大きくなるし、心が狭く小さく貧しく我慾に満たされると、後光、オーラーは小さくしか出ず、その色は汚ない。

身体の小さい人で、大きく見える人がある。
その反対に大きな人で、小さく見える人がある。
それはその人の心がオーラーとなり、雰囲気となって出るからである。

愛の深い人の傍に行くと、なんとなく心がほのぼのと温かくなってくるが、愛のない心の狭い人の傍に行くと、なんとなく冷たい寒々とした感じがしてくる。
口でいくら「愛だ」といっても、その人の雰囲気が冷たかったら、それは言葉だけであって、心がそうなってないのである。

愛の深い人の温かい大きな雰囲気の中に包まれると、心が楽しくて仕方がないから、その人の傍からは離れたくない心がして、いつまでもその人の傍にいたいと思うものである。




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